夜伽話用に何かお話を書こうと思ったものの、なんだか上手く書けなくなったので没に。以下はその残骸です。

 冬の夜が更けるのは早く、そして深い。晴天の日々ばかりが続く昨今だから、今夜あたりには満月に程近いほ
どの綺麗な月が見られると思うのだけれど、僅かに外と障子一枚を隔てた阿求の元へ月の光は僅かにさえ届いて
は来なかった。こんな夜には筆を走らせる阿求の手元を明るくする程度の灯りさえあれば十分で、他の総てが濃
い冬の夜闇に呑まれた世界は心地いい。阿求に感じられるのは手元のランプが仄温かく生み出す狭い空間だけで
、書くために不要な彩が総て掻き消された世界のほうが却って心地よく筆が進むようだった。
 それに冬の夜は光だけでなく、音さえも惣暗のまま喪失させてしまう。虫の声も、風や梢の音さえ聞こえない
世界は筆を走らせる阿求の心に余計な感情を与えはしない。音を完全に失った世界では、しんと静まり返った静
寂の楽曲だけが聴こえてきていて、それは下手に騒々しい音楽よりも余程鮮やかな感動を阿求に与えてくれるか
のようだった。
 それほど静か過ぎる世界だから。特に耳を欹てるようなことをしなくても、障子の向こう――縁側に続く廊下
の向こう側から静かに誰かが歩み寄ってくる足音は、自然と阿求の耳に届いてきた。
「阿求様」
 阿求の部屋の前にまで足音が達すると、膝を折る音のあと、聞きなれた使用人の声が障子を越えて直接掛けら
れてくる。
「はい」
「四季様がお見えですが、お通ししても宜しいでしょうか」
「映姫が、ですか?」
 使用人がそう言っている以上、実際に映姫がもう玄関先まで来ているのだろうけれど。阿求はその言葉に少な
からず驚かずにはいられなかった。いかに冬の夜足が早いとはいえ、宵闇の頃からはもう随分と時が経っている
のは間違いないことで。そんな夜更けに、常識をあれほど重んじる映姫が訪ねてくるなど滅多にあることではな
いからだ。
「構いません、こちらに直接お連れして下さい。それと何か温かいものを」
「畏まりました」
 一礼してから、足早に去っていく音が廊下に響く。
(……余程、焦っていたのでしょうか)
 最近は仕事が忙しそうな様子だったこと、そしてこんな時間での突然の来訪。――おそらく彼岸で仕事を終え
たままのその足で、文字通り『飛んで』来てくれたのだろう。自分の為に、それほど映姫が心を砕いてくれるこ
とが阿求にとって嬉しくない筈がない。
(今日はちゃんと、優しく許してあげなきゃ)
 なればこそ、阿求は戒めるように自分にそう言い聞かせる。
 映姫は他の誰よりも誠実でいて、そして何より正直すぎるから。素直すぎる最愛の人を前にしてしまうと……
いつも、不思議なぐらいに我儘で悪戯な私になってしまうのだ。


   *


 障子を閉め切った部屋の中にいたものだから気づかなかったけれど、どうやら外には雪が降っているらしく阿
求の私室に姿を見せた映姫の服には幾らもの白片が纏わり付いていた。映姫の吐く息は暖かな阿求の部屋の中に
おいても白く霞むように溶けていき、彼女がどれほど急いで阿求の元へと来てくれたのかを簡単に見て取ること
ができる。
「夜分遅くに、このような格好で突然すみません」
 荒れた息遣いだけをなんとか整えると、映姫は頭を下げて心底申し訳無さそうにそう告げてくる。
 そうした映姫の姿を見て、阿求のほうこそが申し訳ない気持ちで胸が締め付けられる思いがした。映姫がひと
つ謝罪を漏らすうちにも、彼女の服に纏わる雪片は簡単に解けてしまったようで、殆ど霙のような雪の冷たさの
中を無理して来なければならないほど、映姫に負担を強いていたのかと改めて思う。
「……これほど無理して会いに来て下さったのに、どうして咎められましょうか」
 阿求はただ、本心からそう答える。
 本当は映姫にこうして会うまでは、彼女のことを許さなければならない――と言い聞かせる自身とは裏腹に、
約束を破った映姫をどう咎めようかという、いたずら心も湧き始めていたものだけれど。彼女のあまりに酷い格
好を見てしまうと、そうした疚しい心も吹き飛ばされてしまう。
「まだお湯のほうは大丈夫ですか?」
 映姫にではなく、その後ろに控えた使用人にそう訊ねると、彼女は力強く頷いてくれる。
「少しだけ焚き直したほうがよろしいかとは思いますが、すぐにご用意できますかと」
「では湯浴と着替えの用意をお願いします。それが終わりましたら、今日の仕事は終わりで結構ですので」
「畏まりました」
「――ま、待って下さい!」
 阿求に一礼し、今にその場を離れようとしていた使用人に映姫は急に声を張り上げて呼び止める。
「わ、私なら大丈夫です。それに、すぐお暇させて頂くつもりですので」
 映姫の言葉に、使用人は戸惑うように視線で阿求に問いかけてきて。
 はあ、と阿求は静かに溜息を吐いてから映姫に向き直る。
「……こんな悪天候の中を、お帰しすることなんてできません。今晩はどうか、泊まっていって下さい」
「そ、そういうわけには」

べっ、別にお風呂で百合が書きた(略